+週刊文春が裏の社会の人間と取引。週刊文春は元右翼構成員と共謀して罠にハメていた。その②
東京八王子市を拠点とする右翼団体Aの元会長のコメント
「一色が俺のところに来たのは20年くらい前」
「一色を新宿の小田急百貨店の前で街頭演説に1,2回連れて行った」
「領収書なんか取っておいて、いつ誰と会ったかも全部メモしているような奴だった」
「いつの間にか、薩摩興業の総務担当になっていたとは、驚いたね」
「薩摩興業は今回の土地トラブルで、URから損害賠償金や立ち退き料を取ろうとしていた。今から9年前くらい前のことです。そこで、薩摩(興業)は、うち(右翼団体A)と私が親しくしていた神奈川県のBという右翼団体に協力を依頼して生きた。
その際、薩摩からうちの団体とBは共同で300万円、受け取っています。」
右翼団体Bの元幹部のコメント
「Bの会長は大臣もやった元国会議員と親しく、最初はこの人にURとの交渉を任せた。
元大臣は『URから5億円取れる』なんて言っていたが、結局うまくいかず、一時、URの道路整備の工事もストップしてしまった。
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ここで出てくる、元大臣とは永田町の噂では元農水大臣をした民主党の田名部匡省だといわれている。
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これに薩摩の社長は激怒してね。社長はURから何も取れないのなら、交渉はもういい。我々に『1000万円払え』と言い出したのです」
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右翼団体に300万で仕事を依頼し、出来ないからといって、1000万円要求できる企業って?間違いなくフロントでしょう!どこの広域団体がついているのかは知ってるけど言わない。
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「薩摩の社長には、私の部下と一色が交渉を続け、きちんと経過報告することで納得してもらった。そして、部下と一色はこれを機に薩摩興業の名刺を持つようになったのです」
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ここまで、一色氏ら右翼団体が民主党の元国会議員に陳情したが、ダメで、薩摩興業の総務担当として名刺を持てるようになった。というところまでは分かったが、では
何故?
数多の現職閣僚の中で、甘利大臣に接近しようと思ったのかが、分からなかったが、新潮はそこも突き止めている。
週刊新潮の記事
元国会議員を使っても、うまくいかなかったURとの交渉。そこで一色氏が目を付けたのが、現職閣僚の甘利氏だった。(右翼団体Bの)元幹部が続ける。
「彼(一色)は、右翼団体の他に『政府認定特定非営利活動法人(NPO)国際人権教育推進センター副理事長』の名刺を持っていた。実はこのNPOの前理事長は、甘利さんの父親(故、甘利正代議士)の元秘書で、甘利さんとも昵懇でした。一色は、前理事長に何度も“甘利さんを紹介してもらえないか”と頼んでいたそうです。甘利さんに信用してもらおうと、ここの副理事の肩書を利用しようとしたのでしょう」
もっとも「国際人権教育センター」に一色氏について聞くと、
「一色という人は知っていますが、当NPOの副理事長ではありませんし、それどころか会員でもない。名刺は勝手に作ったものでしょう。とんでもない話ですよ。彼とは、4,5年前、全理事長の事務所で4回くらい会ったことがある。うちの会員になりたいというので、入会金と年会費を払ってください、と言ったらそれっきり。前理事長も一色を警戒していた。甘利さんに会いたがっているのを知っていましたから、甘利事務所にも彼とは会わないよう警告していたはず」(小宮隆副理事長)
結局、別ルートを使って、甘利事務所に接触を図ったわけだが、
「一色さんは、当初、甘利さん側に『後援会を作る』と言って接近したそうです。
将来、総理を目指している甘利さんは、全国に後援会組織を作り、広く浅くカネ集めしたい。千葉に新しく後援会を作ると持ちかけられ、飛びついたのかもしれなません」(甘利氏の側近)
結果として、一色氏は13年(平成25年)5月、甘利事務所の清島健一秘書を訪ね、URへの口利きを依頼した。清島秘書とは、数か月前に知人の紹介で知り合ったという。
千葉はの財界関係者こう証言する。
「14年初め、薩摩興業の社長から『甘利さんの後援会幹部で、うちの社員です』と一色さんを紹介されました。しばらくすると、『千葉県甘山会』の発会式の案内が来たのです。この時、甘利さんの後援会は『甘山会』と呼ばれていることを知りました」
つまり一色氏は、甘利氏の“後援会幹部”という顔を持っていた。とすれば、甘利事務所の秘書たちも「身内同然」と思っていたのかもしれない。
甘利氏の秘書が、一色氏から度重なる接待を受け、現金を受け取ったのも、後援者だからこそだったのか。
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昔、陳情したことのある甘利事務所。その時はうまくいかなかった。
しかし、今では政権の重要閣僚だ。
右翼団体と薩摩興業の社長との約束で、一色は重い任務を課せれてしまったので、どうにかして甘利さんに近づいて、甘利さんに陳情すれば自分の顔が立ち、うまくいけば薩摩興業にも、右翼団体にもよく思われる。
そう思ったのでは?ないだろうか。
なるほど、
千葉県で後援会を立ち上げ、後援会の事務局長ずらして甘利事務所の秘書をお得意のフィリピパブに連れて行って、小遣いも渡し、メロメロ状態にさせていったのだ。
それも、自分の金を使ってではなく、薩摩興業という怒らせたら怖い社長の金で、、、
しかし、これで陳情もしやすくなった。後はUR関連の陳情がうまくいけばいいのだ。
もちろん、事の経過はせっついてくる、うざい薩摩興業の社長に報告するために録音なども含めて、お金を使った分、ちゃんと説明出来るようにしているのだ。
身を守る為に録音や札をコピーしたのは、薩摩興業の寺床社長対策だったのではないだろうか?
とも思えてきました。
それでは次の疑問である、
何故?週刊文春を巻き込んで、世に出す事になったのか?
次号に続きます、、、
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