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日韓併合前とその後(前々号からの続きです)

李氏朝鮮500年の道路事情。

 

皆さんは既にパソコンで日韓併合前と後の韓国(朝鮮)の状況がどうであったのかご存知でしょう。

 

http://image.search.yahoo.co.jp/search?rkf=2&ei=UTF-8&p=%E6%97%A5%E9%9F%93%E4%BD%B5%E5%90%88%E5%89%8D

 

韓国の学者(崔記鎬)がどれほどのお金(日本国民の税金)が韓国(朝鮮)の近代化を成し遂げたのかを詳しく書いていますので、紹介します。↓

 

李朝500年の道路事情

 

李朝下の518年年間、朝鮮には人間が通れる安全な道路は全くなかった。

 

新しい役人が現地に赴任すると、”今度の役人は、どれくらい泥土にはまったか”と尋ねられるぐらいで、幹線道路でも荷車も牛車も人力車もやっと通れるほどで、ほとんどが、田んぼのあぜ道程度のものであった。

 

もっとも重要な幹線とみなされたソウルと義州(現在の北朝鮮と中国の国境近くの町)を結ぶ道路は、宗主国であった中国の使臣が往来するために、唯一、道路と呼べるような代物だった。

 

だが、この最重要道路にしても、たまに補修の要請があって、いくらかの経費を現地に送ると、その4分の3は途上でなくなり、結局必要な経費は、常民、賤民たちからの苛斂誅求で賄われるというありさまだった。

 

また、ほとんどの河川には橋が無く、李朝以前にはあった橋も壊された。理由は、李朝が高麗に反逆して奪取した政権であったために、今度は自分達が反勢力のクーデターに遭うことを恐れて、軍隊が進軍できないようにしたからである。

 

たとえ橋がかけられていても、ところどころ穴があいていて、現地の事情に疎い者や、夜陰にまぎれて橋を渡ろうとすると、足を踏み外して穴から落ちてしまうこともあった。

 

それゆえに、橋と足の発音は同じく”タリ”と呼ばれている。

 

そうなると渡し船で対岸に渡ることになるが、無事に着けば幸運だった。薄い板で造られた舟では、往々にして牛馬車や大勢の人達の重みに耐えられず、沈んでしまうことも珍しくなかったから、毎年各地で鎮魂祭が営まれた。

 

鎖国政策がとられた為、港湾施設と言えるようなものもほとんど無く、中国と日本(対馬)を相手に、わずかな物品のやりとりがあるにすぎなかった。

 

陸上でも、釜山とソウルの場合、400キロ余の距離を往来するのに25、6日かかるのが普通で、両班の子弟で科挙の試験に赴く者を除くと、旅人も稀だった。

 

ソウルと仁川間の32キロも、往き来に5日以上かかり、従って生産、管理、消費、物流などといった社会基盤もなく、近代化とは全く無縁であった。

 

こうした事情1つとりあげても、李朝の「自主的近代化」などというものが全くの絵空事で、妄想にすぎなかったことは明らかだ。

 

日本人の税金で賄われた朝鮮の鉄道建設

 

鉄道は未開国を近代化国家に育成する機能を発揮する為の必要不可欠の動脈であり、市場経済の血管である。鉄道に代表される「大衆交通手段」の発達は、人類の生活向上と幸福の増進にも欠かせない。

 

道無き山野に鉄道が敷設されたことが、日本政府の目的がどこにあろうと、朝鮮民族にとって、長い間の地獄のような生活から脱することにつながったことは論をまたない。

 

1894年、日清戦争勃発を契機として、朝鮮に鉄道敷設の機運は熟していたが、当時の李朝は財政、経済に対する基礎知識もなく、交通、鉄道に関する認識もなかった。

 

1896年「京仁線(ソウル~仁川間)38.9キロの鉄道敷設権を、日本企業「京仁鉄道合資会社」が米人モールスから買収、1900年7月8日、全線開通させた。朝鮮で最初の鉄道だった。

 

ちなみに日本で初は1872年(新橋ー横浜間)のこと。

 

従来ソウル~仁川間の往復は、5,6日の所要時間は、2,3時間に短縮された。

 

元来、両班とは、動かずに、農工民が生産したものを優先的に処分する権利を保有していたから、「鉄馬」に乗って1日を消費して、それを最高の享楽と感じただろうことは容易に想像できる。

 

「京釜線(ソウル~釜山間)450.6キロは、京釜鉄道(株)が1905年1月1日全線開通させた。

 

京仁、京釜鉄道買収額(建設費)は、3500円万だった。それに対して同年の大韓帝国の収入額(税、印紙税総額)は、784万円だったから、自力での鉄道敷設は夢のまた夢でしかなかった。

 

それまでフランス、ロシアも競って鉄道敷設権を獲得したが、その資金の裏付けもなく、工事の着工もできなかった。

 

アメリカのモールス(京仁線敷設権取得者)も事情は全く同じで、彼らが頼りにしたのは李朝であったが、以上のような財政事情で、全く実現の可能性がなかったから、日本企業がこの難局を切り抜け、京仁、京釜線が敷設されたことは、天佑神助というべきであった。

 

京義線(ソウル~新義間)は、フランスのグリールが敷設権を取得したが、これも日本(陸軍)が買収して建設を受け継ぎ、1906年4月に全線開通した。

 

京義線と馬山浦線の建設費は3138万円で、したがって、京仁、京釜、京義、馬山浦線建設費を合わせると6638万円になる。

 

この6638万円は、日本人の血税で賄われたが、その活用は、日本人、朝鮮人共用であり、朝鮮側の享受した利益は莫大なものであった。

 

もしも1896年~1906年の1円が、今の10万円に相当するとすれば、6,6兆円であり、それを2003年11月25日の為替レートで韓国ウォンに換算すれば、79兆6560万ウォンに相当する。(2003年11月、物価指数による換算)

 

総督府が建設した鉄道路線と、投下した資金

 

こうして、1910年の日韓併合には、すでに全国1039,7キロの路線が完成した。

 

これにつづき日韓併合後は、寺内、長谷川の両総督時代に、湖南線、京元線(ソウル~元山間)、平南線が、1917年には会寧~清津間が開通した。

 

併合後に朝鮮総督府が、鉄道敷設に投資した費用は、次の通りである。

 

1913年、8662000円。1914年、7634000円。1915年、8004000円。

 

1916年、7705000円。1917年、6152000円。1918年、11094000円。

 

1919年、15750000円。1920年、16329000円。1921年、18856000円。

 

1922年、22267000円。1923年、16475000円。1924年、10307000円。

 

1925年、12018000円。1926年、17737000円。1927年、25291000円。

 

1928年、28688000円。1929年、23379000円。

 

併合後の総計257048000円、(併合前の総計105077000円)

 

 

目のくらむような金額です。この出費がなければどれだけ日本国民の生活が向上していたのだろうか?日本国民は朝鮮の犠牲者ではないのか?

 

斎藤実総督は、1921年9月に開催した「産業調査委員会」の定義によって、吉林~会寧間の敷設計画と、それ以降の12カ年計画を立ち上げたが、その概要は次の通りであった。

 

鉄道敷設12カ年計画

 

期間 1927年~1939年

 

総工費3億円

 

路線 図們線156キロ、恵山線142キロ、満浦線386キロ、東海線549キロ、慶全線251キロ、

 

計、1384キロ

 

また、朝鮮総督府が建設する鉄道で、1930年末までに完工した路線は、次の通りである。

 

鉄道建設状況(1930年末)

 

京釜線450,6キロ、支線 京仁線38.9キロ 馬山線40,1キロ 鎮海線20,6キロ

 

京義線499.3キロ、支線 兼二浦線13,1キロ 平壌炭鉱線23,3キロ 平南線55,3キロ、博川線9,3キロ、竜山線6,7キロ、新義州貨物取扱所線1.8キロ、

 

湘南線260,7キロ、支線 群山線23キロ、

 

慶全線 慶全北部線25,3キロ 光州線36.4キロ

 

京元線 223,7キロ

 

咸鏡線617,7キロ、 支線 川内里線4,4キロ、清津線9キロ、会寧炭鉱線10,6キロ、北青線9,4キロ、遮湖線4,9キロ、鉄山線3キロ、

 

平元西部線 67キロ

 

東海線  東海中部線148,8キロ、東海北部線31,4キロ

 

図們線  図們西部線59,6キロ、図們東部線31,4キロ

 

その後、新倉~高原間の平元線146,8キロ、吉州~恵山鎮間の恵山線141,6キロ、順天~満浦線286,6キロ、釜山鎮~蔚山間の蔚山線70,8キロなどが、開通した。

 

その他にも総督府は、私設鉄道に対する補助を行ったが、1915年から1930年までにその総額は4000万円を超えた。

 

1910年の日韓併合以来、旅客運賃収入と貨物収入は、飛躍的に発展しており、物流の活発化を裏付けている。

 

こうして、1945年の終戦の日まで鉄道網の拡張は続けられ、その総延長は6632キロ、駅の数は、762、従業員は10万527名に達した。

 

 

 

人間の背中に頼っていた李朝時代の物流

 

それ以前の李朝時代の物品の交流は褓負商(ポブサン)という行商人に頼っていた。

 

たとえば、全州の行商人は妻子とともに、全州名産の生姜と櫛を背負って、平壌まで3週間余りをかけて歩き、そこで販売する。

 

次に、人力車も通れない道を再び歩いて元山に行き、昆布と干魚を売りさばくという具合だ。時間が予定以上にかかったり、滞在が延びたりしたら、利益は見込めない。

 

そのさまを想像しただけでも、道路やインフラ整備を怠った李朝が、百姓にとって、いかに過酷な統治者であったかがわかる。

 

この場合でも馬を使うのが普通だが、馬には人間以上の経費がかかる。結局、運搬道具として、牛馬ならぬ人間の背中がもっとも利用されることとなった。

 

朝鮮は遠い昔から運搬具として“チゲ”というものがあって、今も農村では欠かせない道具だが、肩にかければ荷重が背中全体に、公平に配分されるから肩が痛くないという特徴がある。

 

嶺東には蜂蜜の生産は多いが塩がなく、平安道では鉄の生産が多いがミカン、レモンは無く、咸鏡道では朝鮮人参の生産は多いが綿布は生産されない。

 

このような地方特産物を鉄道の敷設によって流通させることができれば、住民の生活向上につながることは言をまたない。

 

暗黒の国土に鉄道が開通し、日本の先導でようやく近代化のきざしが朝鮮にも見られるようになった史実は、否定できない。

 

 

 

 

書いている間に、どんどん腹が立ってきました。

 

もしも朝鮮が無かったら、日本は戦争に勝ってたかもしれんぞ~。と思えてきた。

 

朝鮮(韓国)人のせいで、どれほどの日本国民の血税を(無駄に)消費してしまったことか!

 

二二六事件で青年将校達が立ち上がった理由がこれだという事もわかるような気がする。

 

無駄に消費した、言ったのは、これだけの事をしている日本に対して、全く感謝もせず、しかも捏造につぐ捏造で日本の暴力を訴えて植民地になって被害を被ったとしている現在の韓国人を見るからです。

 

韓国の子供達は捏造によって作られた日本人からの被害のみを学んでいます。

 

こんなやつらと一生付き合えません。

 

 

 

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コメント

本当に腹が立つ。韓国人って結局東洋の足を引っぱって、戦勝国だった(もしくはアメリカと講話国の)はずの日本を敗戦に導き、原爆が広島と長崎に投下された事は天罰なんて言っている。お前達韓国人のせいで原爆が投下されたのだ。絶対許さんぞ!お前らのせいでどれだけ被害をこうむったか!伊藤博文が日韓併合をすると日本に大変な被害が訪れると心配して反対した理由がよく分かりました。悲しすぎる。日本人はバカをみたのです。

投稿: ポコパン | 2014年3月17日 (月) 21時17分

ポコパンさん、コメントありがとうございます。その通りです。あの国と関わるとバカを見ます。

投稿: 筆者 | 2014年3月21日 (金) 01時52分

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