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韓国人の証言(全ては朝日新聞から始まった「慰安婦問題」)抜粋

朝鮮戦争当時の「韓国軍慰安婦」は高収入が保証された旧日本軍の「慰安婦」とは違って、文字通りの「性奴隷」であったと韓国人自身が証言している。

 

ベトナム戦争では、韓国軍はところかまわず性暴力をふるった。わずか30年前の話だ。

 

もともと韓国は売春には寛容な国だ。外貨獲得のため「キーセン観光」で、国家ぐるみで売春を行ってきた。

 

ソウル五輪(1988年)でもキーセンパーティーが観光客誘致に一役買っていたことをご記憶の方も多いだろう。

 

売春が禁じられたのも日本とは比べ物にならないぐらいに遅く、2004年(日本は1956年)になってからだ。

 

これに反発した風俗営業に関わる女性達がソウルや釜山で(サングラスをかけ、マスクをして)デモをするお国がらである。

 

その女性達が今でも世界に流出し、米国でもオーストラリアでも売春で摘発されているのは韓国人が1番多いという結果を招いている。

 

「慰安婦」問題が女性の尊厳だとすると、女性の尊厳を冒(おか)してきたこれ以上の犯罪国家はないのである。

 

 

 

朝鮮戦争で米軍兵は韓国の女性を略奪した

 

韓国での「慰安婦」の発生は、朝鮮戦争で米軍を中心とする国連軍や韓国軍によるレイプ事件が頻発したことからだといわれる。

 

そのあたりの事情を崔吉城(チェキルソン)広島大学教授が、呉善花(オソンファ)拓殖大学教授との対談「これでは困る韓国」(1997年、三交社)で赤裸々に語っている。

 

崔氏は、北朝鮮との軍事境界線近くの村で生まれ、韓国で大学卒業後、日本の筑波大学で文学博士号をとり、一旦帰国して韓国の大学で教え、その後、再来日して広島大学に勤務したと経歴にある。

 

朝鮮戦争勃発当時10歳だった崔氏が住んでいたのは38度線から4キロ以内の約3、40世帯が暮らす小さな村だった。村は北朝鮮の支配、中国軍の進駐、そして国連軍による奪還と、1年ほどの間に目まぐるしく支配者が変わったという。

 

やがて、米軍中心の国連軍が仁川に上陸。それからしばらくして米軍が村にも姿を現したとい。

 

<みんな大歓迎です。背の高いスマートなアメリカ兵にみんなで手を振ってね。ろくな食べ物もないところへ、彼らはチョコレートやビスケットをばら撒くんですよ。しかし、そういう期間は非常に短くて、彼らは間もなく女性たちの略奪を始めたんです。それはひどいものでした。

 

私の姉は16歳でしたので父はすぐに遠い親戚のところへやって隠したんです。それでも若い奥さん達も狙われますから、みんな年寄りみたいな格好をしてごまかそうとしました。

 

彼らは昼間、女達の目星をつけておくんです。

 

そして夕方になると、望遠鏡で目当ての女性を探すんです。それで見つけると、猛然とジープを走らせてくるんです。

 

我々はそういうジープを見ると大声で「軍人!隠れろ!」と叫んだものです。ところが軍人たちは軍用犬のシェパードに探させるんです。女達は積んであるワラの中なんかに隠れるんですが、たちまち犬にみつけられてしまいます。

 

女性だけではなく少年も襲われたんです。私より1つ上の11歳の少年でしたが、あばあさんといっしょにサツマイモを洗っていたんです。そこにアメリカ兵がジープでやってきて、彼をおさえて性器を口に入れるんです。

 

そばでおばあさんが大声で泣いているんですが、平気でそいうことをやっているんです。

 

ある結婚したばかりの女性は、畑にこやしをやっているところをアメリカ兵にジープでさらわれました。彼女は1カ月近く行方不明になっていて、ある日、同じ場所でジープから降ろされて村に帰ってきました>

 

韓国軍も「同じ穴のムジナ」

 

先の大戦で米軍は、フランスやドイツで婦女子を大量にレイプしたとされている。日本本土進駐後も最初の10日間、神奈川だけで1千3百件の強姦事件を起こしたことが記録に残っているが、朝鮮戦争でも同じことを行っていたのである。

 

戦後、日本政府は日本女性を募って全国に連合軍専用の売春施設である特殊慰安所(RAA)を設立したが、これも米兵から素人の日本女性を守る為の措置だった。

 

崔氏の村にいた米軍はやがて韓国軍に交代した。

 

<韓国軍は我々の村が北朝鮮の支配下にあったということで、北朝鮮の協力者の摘発を始めたんです。(いわゆる赤狩りですhttp://www.youtube.com/watch?v=jZfziONC0OQ

 

北朝鮮の事務をやっていた女性は40日間というもの強制売春みたいなことをやらされたのです。

 

いや、売春ではないですね。不特定多数による性暴行です。婚約者のいる未婚の処女ですよ。しかも彼女は、そのために子供を産めない身体になってしまったのです。

 

韓国軍がこんなひどいことをしたのは私の村ではこの1件だけですが、他の村でも同じようなことがたくさんあったんです>

 

そこに韓国軍が送り込んできたのが、「慰安婦」だったという。

 

総勢、30人ほどで、それぞれの家に1人ずつ分宿させていたという。地さな最前線の村だが、大変な慰安婦密度だったわけだ。

 

<私たちの村では売春婦を歓迎したんですね。彼女達が村にきてから、村の女性に対する性暴力はなくなったんです。雨が降るとコンドームがあちらこちらから流れてくるんですよ。子供には何かわからないので、それに水を入れて遊んだりしたものです>

 

という。

 

崔氏は自らの体験を踏まえ、なぜ戦前の日本の「従軍慰安婦」問題だけが取り上げられて、自らが体験した米軍や韓国軍の「性暴力」が問題にならないのかと疑問を投げかけている。

 

<慰安婦制度がいいというわけじゃないんですが、なぜ明らかな犯罪である性暴力が問題にならないのでしょうか。こっちの方がより大きな問題だと思うんです>

 

という。

 

誰しもが持つ疑問だろう。日本以上に痛ましい「慰安婦」が韓国にもいたことは、別に秘密でもなんでもない。ただ、韓国政府が調べようとせず、「慰安婦」も日本を攻撃する場合と違ってことさら名乗り出ないだけだ。

 

「韓国軍にも慰安婦がいた」と最初に告発した漢城大学教授、金貴玉(キムギオク)氏も「軍隊と性暴力ー朝鮮半島の20世紀」(2010年、現代史料出版)で、韓国軍「慰安婦」は「性奴隷」だあったと論じている。

 

金氏は朝鮮戦争ではさまざまな国家暴力が行われたとして、陸軍本部が運営した慰安所(特殊慰安隊)について説明している。

 

それによると、慰安所が設けられたのは<軍人に士気高揚、性欲抑制から来る欲求不満の解消、性病対策。からだという。

 

 

 

慰安婦をドラム缶に入れて最前線へ運ぶ

 

陸軍本部の資料から分っているだけで、1951年から1954年頃まで<ソウルの3か所と江陵、その他>に特殊慰安隊が設置され、そのうちソウルと江陵に収容された慰安婦は89名。1952年にそこを訪れた兵士の総数は20万4千人あまり(特周慰安隊の「実績統計表}から)という。

 

金氏は、、<1人の「慰安婦」が1日に6回以上「慰安」を強要されていたことがわかる。また、「出動慰安」の場合、日に、2,30回の「慰安」を強要されたものと考えられる>

 

という。

 

その上で、こう述べている。

 

<「慰安婦」として働くことになった女性たちは「自発的動機」がほとんどなかった。ある女性は10代後半の女性で、ある日、韓国軍情報機関員に拉致され1日で「韓国軍慰安婦」へと転落された。

 

すべての「慰安婦」がこのようであったと推定することは難しい。だが、ほかの「慰安婦」にされそうなった女性の証言からは、いわゆる「アカ」と呼ばれた状況におかれたため、軍人に殺されるかもしれないという恐怖心から「慰安婦」となることを拒めなかったことがわかる。

 

また、強姦の結果、「慰安婦」とならざる得なくなったケースもある>

 

<国家の立場からみれば公娼であっても、韓国軍「慰安婦」制度はあくまで軍による性奴隷制度であり、女性自身は性奴隷であったと言えるだろう>

 

この論文には慰安の対価については言及されていないが、性奴隷だったというのだから話にならないレベルだったかもしれない。

 

この「特殊慰安隊」については、ソウル大学教授、李榮薫(イヨンフン)「大韓民国の物語」(2009年、文芸春秋)で悲惨な現実を綴っている。

 

<少し驚かれるかも知れませんが、軍による管理売春は朝鮮戦争当時にも存在しました。ソウル、春川、原州、江陵、束草などに設置されていました。私があうことができたある従軍経験者によれば、春川の昭陽江の川辺にはいくつもの天幕が張られており、兵士たちがずらっと列をなして順番を待っていたといいます。日本軍が慰安所の前で列をなしていた光景と少しも変わるところがないと思われます。

 

これ以外にも各部隊の部隊長の裁量で、周辺の私娼窟から女性を調達し、兵士達に「補給」したのです。私はその「補給品」をトラツクに積んで前線を移動して回った元特務上等兵に会ったことがあります。

 

彼によれば、ドラム缶に女性を1人ずつ入れて最前線まで行ったといいます>

 

李氏は過去に遡って親日派を断罪する「日帝強占反民族行為真相糾明に関する特別法案」が国会を通過した時、その不当さを主張した歴史家として知られる。

 

「慰安婦」についてあくまでも相対的に見ている。

 

<朝鮮内にも日本人慰安婦がおり、朝鮮戦争当時にも韓国軍の慰安婦がいました。そして、最近まで米軍の慰安婦が大量にいました。ですから私は日本軍「慰安婦」という事件を過去の歴史としてのみ見るのではなく、今日我々の周辺に浸透している現実として感じています>

 

という。

 

「慰安婦」は大多数が朝鮮人との主張や、官憲による徴発との主張にも慎重であるべきだと述べている。

 

しかし、韓国の現状では<慰安婦研究と市民運動は、朝鮮の純潔なる乙女の性を日本がほしいままに蹂躙したというたぐいの大衆的な認識をバックにしている。1個人としてこれに逆らう勇気を出すのが難しい>

 

と嘆いている。

 

 

次号に続く(ベトナム人をメチャクチャにした韓国軍ライタイハンについて)

 

歴史の真実に向き合わなければならないのは言わずもがなでしょ。

 

これらの証言を元にパク大統領談話を出して自国民にウソ捏造の歴史認識を改めさせては如何か?

 

 

 

*知ってると思ってても、本当のところはこうだったんだな~。お勉強になる1冊です。

 

「すべては朝日新聞から始まった「慰安婦問題」」山際澄夫

 

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是非読んでみてください。

 

 

 

 

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コメント

>高収入が保証された
序盤からダウト
高収入は軍票で払われてない事例もありますし
高収入かどうかでなく廃業できるかどうかという待遇の問題ですよ

投稿: | 2015年12月15日 (火) 16時58分

名無しさん、敗戦して軍票が紙くずになったと言って、日本で裁判を起こした文玉珠が2年3か月で貯めた26145円の郵便貯金を持っていたことが明らかになりました。大金持ちだったんですね。なんと当時ご実家に5000円も送金していたというので、31145円ですが、、、そりゃ貧乏な家庭が沢山あった時代。子供に身売りさせる家庭が多かったでしょうね。2年3か月で1億近く貯まる商売なんて、そんじょそこらにありませんからね。それから借金した分返すのは当たり前。完済しても辞めずに働く女性が多かったらしいですが、辞めるのは自由だったんですよ。嘘つきの話を嘘だと思っても認めたくないのは韓国人ですかね?

投稿: 筆者 | 2016年1月 7日 (木) 15時13分

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