« 民主党が知ってて知らんぷりした情報。素人集団民主党では扱えなかった。 | トップページ | 小沢一郎公判を見て週刊文春と週刊新潮を黙って見ている事しかできない小沢。新潮編。 »

菅直人首相自身のパニックと暴走が招いた悲劇。

産経新聞2012,1,08

 

菅首相の勘違い

 

たとえ隠したいと願っても隠しきれるものではないのだろう。東京電力福島第一原発事故に関する政府の事故調査検証委員会が昨年12月にまとめた中間報告で、当時の首相官邸、とりわけ菅直人前首相自身のパニックと暴走が無用の混乱を招いていた事が改めて裏付けられた。

 

現場は過酷な条件の下、第一原発の1号機のベント(排気)に半ば死を覚悟して取り組んでいた。ところが菅氏は東電側が「ベントをためらっている」と誤解し、いらだちを募らせた結果、東日本大震災翌日の3月12日早朝に急遽、現地に乗り込んだ。

 

「首相の対応に多くの幹部を割く余裕はなく、自分一人で対応しようと決めた。」吉田昌郎所長(当時)は事故調にこう証言している。

 

政府の現地対策本部長だった池田元久前経済産業副大臣も、菅氏の様子を東日本大震災発生後5日間を記録した覚書にこう書いている。

 

「初めから詰問調であった。なぜベントをやらないのか、という趣旨だったと思う。怒鳴り声ばかり聞こえ、話の内容はそばにいてもよく解らなかった

 

「何のために俺がここに来たと思っているのか」と総理の怒鳴り声が聞こえた。これはまずい。一般の作業員の前で言うとは」

 

当時、菅氏の周辺は盛んに「ベントお指示を出したのに東電がなかなかやらなかった」と情報を流していた。だが、その間の事情を知る官邸筋は明言する。

 

それは大嘘だ。むしろ官邸側は東電に、何の指示なく勝手に進めるな、官邸の了解なしに判断するな、と指示していた。」

 

菅氏の無理な現地視察がベント作業の遅れにつながり、水素爆発が起きた可能性は否定できない。

 

東電撤退も誤解

 

3月14日夜、2号機原子炉の破損を懸念した吉田所長が東電本店に「必要な人員を残して作業員を敷地外へ退避させるべきだ」と相談した際にも、「伝言ゲーム」の過程で誤解が生じた。

 

これを官邸側は「東電が全面撤退」と受け取り、菅氏は15日午前4時ごろに清水正孝社長を官邸に呼び出した。清水社長は「そんなことは考えてない」と明確に否定したが菅氏は納得せず、午前5時半ごろに東電本店に乗り込み、再び怒鳴り散らす。

 

「いったいどうなっているんだ!あなたたちしかいないでしょ。撤退などありえない。撤退すれば東電は百パーセントつぶれる」

 

この時、菅氏は大勢の東電社員が徹夜で作業を続けているオペレーションルームを会議室と勘違いし、こんな怒鳴り声を上げた。

 

「こんなにいっぱい人がいるところじゃ、物事は何も決まらないんだ。何をしているんだ!」

 

その場は同席者が何とか収め、菅氏を別部屋に案内したが、菅氏は結局3時間11分も居座り作業を邪魔した。このときも、菅氏周辺から「全面撤退を菅さんが体を張って止めた」「菅さんが首相でよかった」などという情報、コメントがまことしやかに流された。

 

だが、東電の勝又恒久会長は3月30日の記者会見にこう否定している。

 

「施設にいた800人を超える職員のうち、直接、発電所の運転に関わらない半数の作業員は退去を考えたが、全員退去させるということは決してなかった」

 

SPEEDIは隠蔽

 

中間報告は、政府が緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム「SPEEDI」を活用していれば、「住民はより適切な非難経路を選べた」と指摘している。

 

中間報告にはないが、官邸筋によるとこのSPEEDI情報の公開をストップしたのが当時の枝野幸男官房長官だった。

 

「情報はどこかで一元化して勝手に出さないように」

 

枝野氏が原子力安全、保安院などにこう指示した3月17日のデーターでは、後に全村避難を余儀なくされた福島県飯館村で「相当な数字が出ていた」(官邸筋)

 

官邸筋は、福山哲郎官房副長官(当時)が後に官邸内で「(枝に)官房長官が、情報管理を徹底しろ、という趣旨のことを言ったにしても、ちゃんと必要な情報は公開すべきではなかったか」と議論していたのを記憶している。

 

昨年12月には、この政府の事故調とは別に国会に事故調査委員会が設けられた。国会の事故調は、国政調査権に基づき証人喚問や資料提出を要請できるため、菅氏らの聴取が実現するかが焦点だ。

 

「国会の事故調で徹底して原因究明、責任追及をやるべきだ。菅氏を含めて、場合によっては牢屋に入れる事が必要だ」

 

みんなの党の渡辺喜美代表のこの主張通り、二度と悲劇と愚行を繰り返さないため全容解明が待たれている。(あびる るい)

 

 

情報が無かった為(飯館)村にとどまった者が多かった。SPEEDIの推計結果の公表が早期にあれば、被曝量を減らせたはず。と住民は話しているという。3月中の米国や国際原子力機関(IAEA)の助言に関わらず、同村が計画的避難区域に指定されたのは4月22日の事である。

 

実際の批難はその都度自治体同士が助け合って粛々と実行してきた。SPEEDIの推計結果を公表しても無用の混乱など起きたはずも無く、無明の混乱を起こしていたのは政府であったように思える。(但木敬一(元検事総長))

 

菅内閣で情報を取り仕切っていた枝野の罪は大きい。それがよりによって新内閣では原発担当所管大臣の経済産業大臣にした野田首相。何を考えているのか?国民の命より、政府内閣、我が身保身を図ろうとする若造。閣僚で有り続けているのだから国会で追及して欲しいですよ。

 

被曝を強いられた方々は本当にお気の毒です。すべては菅総理大臣の責任です。枝野官房長官の情報隠滅です。

 

バレては困るので議事録が無いなんて大嘘つかせてまた情報統制してます。旧ソ連のブラックカーテンです。

 

民主党って本当に恐ろしい輩の集まり。

 

素人判断して、間違えを認めず、情報統制して、証拠(議事録)隠滅を図ろうとする。

 

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120124/plc12012403250002-n1.htm

 

 

 

こんな事していたらまた同じ過ちを繰り返すのです。

|

« 民主党が知ってて知らんぷりした情報。素人集団民主党では扱えなかった。 | トップページ | 小沢一郎公判を見て週刊文春と週刊新潮を黙って見ている事しかできない小沢。新潮編。 »

菅直人」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 菅直人首相自身のパニックと暴走が招いた悲劇。:

« 民主党が知ってて知らんぷりした情報。素人集団民主党では扱えなかった。 | トップページ | 小沢一郎公判を見て週刊文春と週刊新潮を黙って見ている事しかできない小沢。新潮編。 »