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2011年12月

青木愛も忙しいが西村正美も忙しい。不倫だらけの民主党。こいつら何しに永田町に来ているのやら、

週刊新潮11,12,29記事全文↓

年上議員と同棲の民主党「山本剛正」代議士(九州ブロック衆)が元博多妻(中州のクラブホステス)とキス。

新人議員にして、大変艶福家である。9歳以上年上の女性議員との半同棲不倫を報じられた民主党の山本剛正衆議院議員(39)。地元、福岡で呆れている女性がいる。元「博多妻」だったホステスである。「こないだのキスってどういうことだつたの?」

8日発売の週刊文春が報じたのは、山本衆議院議員♂が同じ民主党の西村正美衆議院議員♀(48)と、赤坂の衆議院宿舎で半同棲生活を送っているという話。西村議員は会社員の夫と小学生の娘がいる一方、山本議員には2度の離婚歴がある。れっきとした不倫関係だが、

「彼は記者に‘ふざけんな!‘と逆切れしたとか書かれていましたが、馬鹿じゃなかろうかと思いますよ。幼稚です」と言うのは、中州クラブホステス、あかりさん(仮名)。博多芸者からホステスに転じた30代半ばの和服美人である。山本代議士とは、まだ議員になる前の4年前に知り合い、一時は一緒に暮らしていたという。

「ある夜、お客様を送りに店の外に出たら、目を合わせてくる人がいて、いきなり連絡先を聞かれました。それが彼(山本衆議院議員)です。会って一週間後に、ティファニーの指輪を買ってもらいました。」

道端で声をかけ、1週間後には指輪のプレゼント。なかなかの遊び人である。

「当時、彼は県知事選の応援をしていたのですが、選挙が始まると、事務所に近い私の部屋に住むようになりました。最初は嬉しかったものの、彼は亭主関白でがみがみうるさい。ある朝疲れているところに一方的に言いたいことを言われたので、出て行ってもらいました。彼はすごい剣幕で‘分かったよ‘と言って、荷物を積んでいきました」

同棲期間は2か月。

「09年に初当選した時、‘俺、受かったよ‘と電話があり、お前に1番見せたくて、と博多まで議員バッジを見せに来ました。最後に会ったのは、この11月25日。‘飲まないか‘と電話がありました。あった時、‘30代で子供を産みたい‘と話すと‘俺が生ませる‘と言いましたが、聞き流しました。

外を歩いているとき、彼(山本剛正民主党衆議院議員)‘キスして‘と迫ってきました。人もいるし、恥ずかしいからやめてと拒んでも、‘いいじゃないか‘と聞かないので、歩きながらフレンチキスをしました。さらに‘泊まっていい?‘と言うので、断りました。」

その2週間後に、<衆参「新人議員」赤坂宿舎で半同棲不倫>の記事。あかりさんは、「‘実は彼女がいるんだ‘と言えば良かったのに」と呆れているが、山本衆議院議員ご本人によれば、「久しぶりに会った彼女に鼻の下を伸ばしてしまった。お詫びしたい。今の彼女(西村議員)は12月1日に(前夫の)籍を抜けたので、近くきちんとします」

一方西村正美議員は、「彼(山本代議士)から報告を受けました。‘今後、気を付けてください‘と言いました」

この人達、何しに国会に来たのだろうか。

↑青木愛もそうだったが民主党議員は不倫がお好きのようですな~。議員宿舎を愛の巣(ラブホ)代わりに使うんじゃね~!!!!

俺たちの税金を返して欲しいし、増税するだ????!!!

こいつらが政策を作ってる政権与党民主党。もう我慢の限界だ!!!

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高橋嘉信氏が以前(10,4,8)週刊新潮で言っていた事。(先日の補足記事です)

小沢一郎と共に日本の政治を変える。私はこう思って20年以上、小沢に仕えて来ました。彼は昔から目的のためには手段を選びませんでした。「真の民主主義とは、、、」「国民の生活が第一」などと、綺麗事を口にします。しかし、実際はゼネコン選挙で集めた票で、自分の意のままになる議員を作っていきました。

こうして権力と金を手にし、政治家として力をつけていったのです。私も、ある時まではそれも仕方がない、と自分を納得させ、岩手の有力者に小沢の理想を説いて歩きました。

ところが、昨年(09)秋の政権交代を経て、今の民主党はどうか。政治が良くなっているのであれば、何の問題もありません。しかし、民主党はどんどん危険な方向に向かっているように思えてならないのです。(中略)

陸山会(小沢氏の政治資金管理団体)の政治資金問題が発覚した当初、私は東京地検特捜部の捜査にも協力を拒んでいました。ですが、土地購入の原資が政治資金、定期預金を担保にした融資、個人資金と二転三転した挙句、現(大久保、池田)、元秘書(石川衆議院議員)が3人逮捕されるという事態に至った。何と潔く情けない姿か。これでは私を含め、小沢の命令を忠実に実行してきた秘書が犠牲になるだけ。小沢の理想を代弁してきた者としても、このまま黙っている事は無理でしょう。そこで私は小沢一郎と言う政治家の真の姿をきちんと話す事にしたのです。(中略)

私は総括責任者で、選挙、地元の市町村の陳情を受付、選挙の候補者選定が主な仕事でした。そして93年の総選挙で「ゼネコンを徹底的に使え」。小沢は私にこう命じたのです。

この一言が総ての始まりでした。小沢は、この時、岩手2区で前回の総選挙より5万票も増やし、14万2451票を獲得して圧勝。後にも先にも、これほどの票を獲得した事はない。小沢はこの勝利を見て、ゼネコンこそが選挙に勝つ道具だと確信したのです。

95年には小沢が擁立した増田寛也が岩手県知事に初当選しました。これで小沢は地元での公共工事のゼネコンに対する影響力を手中に収めました。また、同時にゼネコンからの政治献金も一気に増えました。献金の額を聞かされ、「そんなに集まっているのか」と思う事もあったほどです。

しかし、小沢は96年以降、自分の選挙で本格的なゼネコン選挙はやっていません。なぜなら、もはや、岩手で小沢に勝てる人はいないからです。その代わり、他の選挙でゼネコン使い、子飼いの議員を作っていったのです。

95年、岩手県知事選の増田、96年の総選挙で達増拓也、98年の参議院では樋高剛、、、。「負けそうだ」との声が聞こえれば、私が現地に入って指揮しました。増田や達増もゼネコンの協力が無ければ、当選できなかったはず。何しろ200人以上のゼネコン関係者がやってきて、選挙支援をするんです。系列、下請け会社を含めれば、1000社以上に及ぶ関連企業が何十万人という名簿を提出し、小沢の為に選挙協力した。これでは相手候補が勝てるはずがありません。

もちろん、ゼネコンは善意による協力のみで、戦いに加わるわけではありません。我々が名簿を基に「集計表を作り、どの(ゼネコンから提出された)名簿が役に立ったかを査定する。その成績に応じて、公共工事で「天の声」が降りてくるのです。

小沢の秘書は毎朝、東京世田谷の深沢の小沢邸に赴き、命じられた仕事の報告を行います。私も岩手にいる場合を除いて、必ず顔を出していました。私が8時半から9時くらいに小沢邸に到着すると、大体、他の秘書が直立不動で小沢の前に立ち、報告を行っていました。小沢はどっかと椅子に座り、黙って聞く。そして一通り聞き終えると、次の指示を出すのです。秘書には仕事を分担させ、秘書たちが情報を共有することを嫌がっていました。総てを知っているのは、小沢本人だけです。

鷹生(たこう)ダムに関する「天の声」を聞いたのは、一般競争入札が行われる数ヶ月前、98年初めだと思います。ある朝、私はいつものように小沢邸に行き、ダイニングルームで報告をしました。部屋には、小沢と私の2人きり。小沢は寝巻から普段着に着替え、食事も済ませ番茶を啜っていました。

私の報告を聞き終えると、「大船渡の事で清水(建設)には世話になっている。鷹生ダムは清水にしろ。仙台に言っておけ。」こう「天の声」を出したのです。仙台とは鹿島建設東北支店の事です。

私自身は小沢事務所とゼネコンの力関係などは詳しく知りませんから、受注についての判断は全て小沢に確認し、逐一指示を仰いでいました。それにしても、岩手での談合は、初代社長が岩手出身で小沢家と縁の深かった鹿島建設がしきっており、鹿島と争っていた清水は県内でもアウトサイダー的な存在でした。。それだけに清水に受注させろと言われ、大変驚いたのを覚えています。

そもそも、鹿島は小沢とは父親の代から近かったのですが、一時、疎遠になっていました。その後、関係が修復されたのは、金丸さんが失脚した92年頃。私は98,99年頃、鹿島で談合を仕切っていた(東北支店の)Iさんと電話で連絡を取り合っていました。

談合は様々な関係や状況を踏まえて調整されるべきであり、こちらの一方的な押し付けは、調整役の存在を否定しかねないので避けるべきだと思っていました。また、特定の業者に決めろと押し付ける事は、他の業者を敵に回しかねず、今後の選挙や政治資金にも影響を及ぼしかねません。特にダム工事となれば、各業者が血眼になって営業するので注意すべきであると思っていました。

そこで私は小沢に「清水は選挙では全く協力的ではありません。なぜ、清水にしなければならないのですか?」と反論めいた口調で尋ねました。すると、小沢はムスッとした表情を浮かべ「いいから、そうしろ!」と窓の外を見ながら命じました。当時、小沢の指示に逆らえる秘書はいませんでしたが、私はどうしてもおかしいと思った時は、小沢に意見していました。この朝もそう。私が反論すると、睨みつけるのではなく、決まって目を逸らし、不機嫌そうに声を荒げるのです。

そこまで言われれば、私はにはどうすることもできません。こうなったら小沢には誰が何を言っても無理。私はその場を辞して、同日の午前中Iさんに、決定は絶対的である事を理解してもらう為に「小沢からです」と前置きして上で、「鷹生ダムは清水だそうです」とだけ告げました。

*結局、一般競争入札では清水建設、熊谷組などのJVが落札した。さらに今年(10)に入って受注側の見返りとして数年間、小沢氏のパーティー券を2000万円ずつ購入したと報じられた(毎日新聞10、1、25)。高橋氏の証言に対し小沢事務所は「担当者が不在のため、回答できません」鹿島建設は「確認できません」清水建設も「確認できません」というのみである。

1つ、小沢という男の考えを象徴する言葉があります。私はかつて「大将から貰う金はな、高橋、10円でも押し頂くものだ」と言われた事があります。つまり、小沢事務所と言うところは、10円の金を動かすのだって、小沢の許可がいる。これが、小沢の金に関する考えです。樋高をはじめとする陸山会の担当者は、毎朝、小沢邸に行き、会計報告を行っていました。陸山会の土地購入問題について、私は詳細を把握していませんが、少なくともこれが小沢事務所の実態なのです。

自民党を離党した頃、またそれ以前から、今日まで小沢と行動を共にしている人は誰ひとりいません。

藤井裕久さんも渡部恒三さんも二階俊博さんも、みんな遠ざかってしまった。小沢が語る政治改革の理想と、現実の小沢の人間性との乖離。みな、利用されるのに疲れて離れていったんです。

そして今、小沢の周りには若い訳のわからない議員しかいなくなった。小沢はここまでを諒(リョウ)として、議員辞職すべきだと思います。

後世まで汚名を残すような、恥ずべき行動を続けてはならない。私は政治の世界から身を引く覚悟で、真実を話しています。小沢には「どうぞ、私と一緒におやめ下さい」と言いたい気持ちです。

以上が小沢一筋で20年仕えた高橋氏が週刊新潮に告白した小沢の真実です。

勇気ある志士ですな~。完全にあの巨大な小沢と対決して刺し違えるつもりです。この高橋氏、証人喚問に応じるつもりです。国会で偽証すると偽証罪が適応される証人喚問に出る!!!と言っています。

どうしても見てみたいですね~。皆さん。

経世会の金庫から八尋(当時の経世会事務局長で後の小沢の金庫番)さんと連絡をとりあって13億円を小沢の深沢の自宅に運び込んだ高橋さん。

正義は必ず勝つ!!!!

日本の政治、未来、国民の為に頑張っている人は輝いているな~。頑張れ高橋!!!

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12月1日元小沢一郎政策秘書高橋嘉信氏、小沢一郎の悪事の数々を語る

昨日も今日も小沢に対する陸山会事件の刑事裁判が行われております。大久保秘書が収支報告書を見ていない可能性は大いにあると思います、なぜなら長く会計責任者を務めた私も収支報告書を見た記憶がないからです。実務をやっている秘書たちも私に見せる必要が無いと言う認識があったし、私も提示を求めたことは1度もありません。収支報告書を見る事は不遜だとすら思っていたからからでした。なぜなら、事務方の秘書が小沢に逐一報告し決裁をうけていることを知っていたからです。小沢がチェックしたものをチェックする勇気は私のみならず秘書たちにはなかったはずです。少なくとも私が秘書をしていた時は、あらゆることを決めるのは本人であり、その命令は絶対であり、秘書はその指示に従う。秘書が勝手に何かをきめることなどあり得ませんでした。

1つのエピソードを紹介しましょう。私が政策秘書(国会議員は国から給料が出る秘書を3人持てるがその最高給料を貰える位が政策秘書である。)として秘書の総責任者をしていた時の事です。私は家内と一緒に小沢夫婦から深沢のイタリアンレストランに誘われました。会食後、小沢がビデオを見たいということでビデオ店に行きました。時間は午後10時過ぎでした。小沢はビデオ店のカードを忘れたと言って、「高橋、ビデオのカードをうちにあるから持って来い」と言ったのです。残念ながら500円を出して新規に会員カードを作ろうという考えは小沢には皆無だったのです。私は走って取りに戻り、ビデオを1本借りる為に汗だくになって届けたことを今でも鮮明に覚えています。ことさらかように、あらゆることを決めるのは小沢であり、その命令は絶対であり、秘書はその命令に従う。秘書が勝手に何かを決める事はあり得ません。

ゼネコン関係を任されたころの私は、その決定基準がつかめていませんでした。そのため、私は「本命はどこ、競争相手はどこ」ということを逐一小沢に結論を求めていました。そして、仕事に慣れ、選挙への協力度、献金の多寡等の決定基準ができてからは、次第に小沢は私と鹿島の担当者に任せるようになっていったのです。ただし、特にダムなど大型の案件についてはこの限りではありませんでした。例えば、大船渡の鷹生ダムがそうでした。平成10年に清水建設が大船渡に鷹生(たこう)ダムの建設を受注したじきのことです。私は小沢から「大船渡のことで清水にはお世話になったことがあるので鷹生ダムは清水にしろ。仙台に言っておけ。」という支持を受けました。つまり、小沢は清水建設に大船渡のなんらかのことで世話になった事があるので、清水建設が鷹生ダム工事の受注が出来るように岩手県の談合の仕切り役をしている仙台の鹿島建設担当者に伝えろと私に指示したのです。その結果、鷹生ダムは清水建設が落札しました。

また、現在問題になっている小沢の政治資金の原資に大きくかかわる問題について話します。岩手めんこいテレビという会社があります。このテレビ局が平成3年開局する際に、小沢は未公開株(当時の発行済株式総数30%の15000株、1株5万円で7億5000万円)を複数の後援会関係者の名義で入手しました。そして、私自身も小沢の口からこの未公開株の実質株主が小沢であることを自ら証明する発言を聞いた事があります。平成7年のテレビ局の新会長人事で小沢が後援会長だった元県議をテレビ局の新会長にするよう要望しましたが会社が渋ったのです。その際、小沢は「めんこいテレビは30%以上の株主である俺の言う事に楯突くのか」と激怒しました。私はその様子をテレビ局につぶさに伝え、その結果会長人事を含めすべて小沢の意に沿うような流れになったことは地元関係者ならだれでも知っているところです。この未公開株が現在どうなっているかについては小沢に聞くほかありませんが、小沢の政治資金の主たる原資になったのだろうと思っています。

私は今回の小沢に対する政治資金規正法違反事件について、かつては仕えた代議士の政治生命の関わる話なので発言を控えておりました。しかし、いかに期待しても無駄な事を悟ったのであります。小沢の政策的な変遷といたずらに政局を好むやり方の根底にあるのは権力欲以外の何物でも有りません。このままでは日本の政治は良くなる事はありません。小沢の本質を誰より知っているからこそ言えるのです。百歩譲ったとして小沢の育てた政治家で、自ら足で立ち、自らの主張を持った政治家が1人でもいるなら我慢も致しますが、誰かいるでしょうか。私が小沢に反旗を翻し、立ち向かう理由がご理解いただけますか。これだけでは説明不足でしょうか。

また、小沢の弁護が二転三転し極めて不自然な説明がなされ、その結果私の後輩秘書3名が逮捕、起訴されるという事態を目の当たりにし、このまままでは代議士の命令を絶対として実行していたのに過ぎない秘書たちが犠牲にされると思いました。そのような理由で地検などにも事実関係を説明してきたのです。小沢と私のいずれが真実を語っているのか、それを明らかにするのであれば2人を偽証罪の制裁がある証人喚問をしていただきたいと思います。私は国会から要請があればいつでも証人喚問に応じる決意をしておりますことをここに明らかにしておきたいと思います。(以上)

高橋嘉信さん、証人喚問に応じるので呼んで欲しいと仰っています。見たくありません?小沢の修羅場。小沢の証人喚問の視聴率考えただけでも凄い事になるぞ~!!!!高橋さんと、金沢(検察が陸山会に踏み込む前に隠したダンボール箱5つを石川らと一緒にある会社(元小沢の秘書の会社)に運んだのですと告白した石川の元私設秘書の方。)さんを国会で呼んで、ちゃんと聞きとりしましょう!南さんもお呼びしないといけませんね~。国会のテレビの前で堂々と!!!!!!!!

経世会から小沢の自宅に運び込んだ13億円も現ナマの話も聞きた~い!!!!

小沢の答弁が聞いてみたいっ!!!!!!絶対証人喚問してくれ~!!!!

鷹生(ダム)は清水にしろっ!!!、、、、、、、、くっ~~~~~~!!!!!

カッコイ~!!!!!!言ってみて~~~~~~!!!!!

どうしても証人喚問が見たいっ!!!!

皆さんもそう思いません?(^。^)

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12月1日前真岡市長福田夫妻、山岡賢次の悪事の数々を語る。

TBSのカメラが来ていたので覗いてみると、荒井ひろゆき、山本一太、世耕弘成、桝屋敬悟、森まさ子、衛藤晟一、中山恭子、他約20人くらいの超党派議員と秘書たちで衆議院第2議員会館の第5会議室で会議が行われていた。

これって誰でも入れるの?と聞いてみると「どなたでも入れますよ~」との事、で入ってみた。

そうすると前真岡市長の福田市長夫妻と娘さんがいて、夫人がちょうど話し始めたところだった。

「山岡には気をつけろっ!山岡には気をつけろっ!」と言われていた。記者さん達が取材に来て、応援した人から金を取る話は有名で福田さんもそんな事はありませんか?と聞かれたので正直にお答えしました。小山の市会議員やある町の町会議員、町会議員は1000万円を田畑を売って作ったそうです。公認をするしないでお金を取るのは有名です。中には労働で(山岡事務所のタダ働きで)お金を返した人もいるんです。

*もう聞くに堪えない金の亡者。あらゆる選挙を金儲けに利用する悪度さ、山岡(金子)賢次(賢二)は人でなし、こんな人間がこの21世紀に生きている、そしてこれが国会議員をしている。しかも国家の警察を司る国家公安委員長。

栃木県警!宇都宮地検!何しとるんじゃい!(電話作戦の運動員買収してるじゃないか!)

悪い奴は早く塀の向こうに連れていけっ!

「公認してやるから金よこせ!秘書が手伝うから金を出せ!」弱い立場の候補者を脅して公認料を取る。ヤクザ山岡。マルチにもどっぷりつかり、「この薬で私は3キロ痩せた。痩せないのは福田さんだけですよ。」なんてウソこきまくり。痩せる薬を山岡本人が売りさばく。マルチヤクザ山岡。

醜いやつを早く牢屋の中に入れんかい!

山岡荘八もこんなやつに土地家屋を取られて、草葉の陰で泣いている。死人に口なし。山岡荘八は実は遺言状を書いていたのに無くなっている。可能性が高い。

遺言状を無きものにしたのは誰だっ!

それにしてもこれほどの悪人だとは、、、普通はできません。

もしも福田夫妻がウソをついているというなら、裁判で決着つけるか、国会で証人喚問すればいい。

そうそう、裁判は敵前逃亡してましたね~全面降伏。だけど福田夫妻はいつでも証人喚問をお受けになるそうです。国会で何が嘘で名誉棄損なのかはっきりさせて下さい!国家公安委員長!

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